このサイトについて
みなさま初めまして。
私はこれまで、大学では土木工学の環境工学および衛生工学、大学院では水圏環境科学を学び、また学生時代は学生自然保護団体のスタッフを努めるなど、自然と人の共存を目指して学んでまいりました。
そしてその原点となったのが石神井公園でした。石神井公園と石神井川流域はいつも私にとって学びの場であり、発見の場でもありました。
ここではご挨拶に代えまして、この度「石神井公園の三宝寺池の湧水復活を本気で考える会(仮)」の設立を考えるに至った経緯をご説明させていただきたく思います。
★自然と文化を学んだ石神井公園
元々私は富士見台に在住し、祖母の家が三宝寺池の南側、氷川神社の近くにありました。
祖母の家には車で20分程度の距離ですのでよく遊びに行き、石神井公園では虫取りをしたり、ザリガニ釣りをしたりするなど、子供の時の私にとってはまさに外遊びにおいて生き物と日常的に触れあえる楽園でした。
私は小学校は私立の学校に通ったのですが、同級生には自宅近くに日常的に自然と触れあえる場所に住んでいる生徒というのがほとんどおらず、図鑑で得た知識だけでない、実際に自然と触れあう経験が豊富だった私は、小学校では虫博士のようなポジションで、毎日自慢げに学校で生き物の話をしたものでした。
その一方で石神井公園には、どこまで続いているか分からない謎の洞窟である「穴弁天」、いつからか照姫伝説とともに伝わり、立派な樫の木と祠を乗せて異様な存在感を放つ姫塚、明治時代に目撃されたというヌシの伝説などがある場所です。当時私は、NHKでドラマとして放送されていた水木しげるの「のんのんばあとオレ」を見ており、そこに登場する島根半島の妖怪や神々が隣り合わせに存在する世界と石神井を重ね合わせ、私にとって石神井公園は親しみのある場所であると同時に神秘的な場所でありました。
そして、鮮やかな衣装の時代行列が闊歩する照姫まつりや、周囲の方々が笑顔で集まる氷川神社の例大祭も一年間の中では楽しみなイベントであり、人々が笑顔で集まり、時に優しく、時に神秘的な場である石神井公園というのは私にとってはかけがえのない場所となり、自然と文化を活かすことで人々が賑わうということを、子供の頃から刷り込まれて参りました。
★人生の転機となった石神井川の多自然型川づくり
中学の時に、私の人生にとって転機となる出来事がありました。
それは石神井川のこぶし橋から練馬高野台駅周辺までで試験的に行われた多自然型川づくりでした。
それまでの私はただの生き物好き、歴史好きであり、石神井公園には魅力は感じつつも石神井川は「既に開発されてしまったドブ川」程度の認識であり、あまり目を向けることはありませんでした。
しかし、多自然型川づくりを施工された石神井川は瀬や淵、河原などが自然に発生し、河原には植物が繁茂し、洪水対策工事により10m近く掘り下げられていながらも私に、
「自然は人の手で再生させることができるのだ」
という気づきを与えるに十分な自然再生の現場を目撃させてくれました。
その結果私は自然再生を学ぶべく、土木工学科へと進学し、自然保護活動を開始しました。また自然保護活動では単に自然を守るのではなく、人と自然が共存するというアクションによってそれが町おこしになっている現場も見ることができました。
★石神井公園と石神井川から「都市と自然の共存」を発信しよう!
石神井公園は既に照姫まつりが毎年開催され、沼沢植物群落の保護の為に水辺植物園が整備されるなど、人と自然が共存している場所だと思っています。
しかし、残念ながら湧水は枯渇し、石神井川と三宝寺池は分断されているほか、外来種問題などの問題点もあります。
都会の自然は人の手によって簡単に左右される非常に不安定な環境です。都会の自然が減少するにつれ、残された自然とのさらなる保全・共存を私たちは考えなければいけません。
幸い石神井公園には、氷河期の生き残りで天然記念物に指定されている「沼沢植物群落」をはじめとした「自然」、石神井城址を中心に伝わる照姫伝説や氷川神社などの「歴史と文化」がまだまだ残っています。それはつまり、「地元の自然や文化と共存する日本人の生活を再発見し、日本全国に発信していける」ポテンシャルがあるということです。
後述の外環自動車道の開通を一つのきっかけとして、さらに石神井公園の自然を見つめ直し、発信する仲間をここに募集したく思います。
よろしくお願いいたします。