平地林がはぐくんだ江戸野菜

 江戸時代、武蔵野台地での土地活用を考える上で重要な出来事が起きます。それは江戸幕府の開幕です。
 江戸幕府の開幕はそれまで牧としての利用が主だった武蔵野台地上においても、江戸の近郊の農村としての食料生産が求められるようになったということを意味します。

 武蔵野台地上での農業は前述した通り、中世までは草木灰や刈敷、糞尿や家畜糞によって土づくりをした麦中心の二毛作でしたが、江戸時代中期以降は森林の落ち葉を利用するようになりました。森林で落ち葉をかき集め、腐葉土を作り、畑の肥料として使ったのです。

 その為、江戸時代は落ち葉の供給源として、平地林の存在がより一層重要視されることになります。この時代の武蔵野台地上の田園風景とは決して畑だけが広がっているのではなく、畑と林が短冊状に連なっており、人々はその林のことを「雑木林」ではなく「ヤマ」と呼んでいたそうです。

それだけ武蔵野台地の人々にとって林が恵みを与えてくれる重要な存在であったということでしょう。

 江戸時代、江戸近郊では「江戸野菜」と呼ばれる野菜が収穫されていました。


 主な江戸野菜としては

 滝野川牛蒡(北区)谷中生姜(台東区)三河島菜(荒川区)、のらぼう菜(多摩)、品川カブ(品川区)、豊島枝成胡瓜(豊島区)・・・

 などがあり、練馬には練馬大根がありました。


 練馬大根はいわゆる白首大根の一つで、最初から一部が地上から顔を出している青首大根と違ってすべて地中に埋まっている為、収穫が重労働になってしまい、生産量は減っているものの、現在も一部の農家で生産されています。

 個人的には練馬大根のべったら漬けはとても美味しく、大好物です!


 これらの江戸野菜の生産は武蔵野台地の森林があってのものであり、そしてその森林は地下水の涵養にも機能していたのです。


(写真)照姫まつりで販売していた練馬大根

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