玉川上水の開通

江戸時代、武蔵野台地にはもう一つ、大きな出来事がありました。

 それは江戸の街の上水道として玉川上水が開通したことです。玉川上水は飲み水としての利用だけでなく、分水して農業用の潅漑用水としても利用されました。

 石神井川流域には、上流は玉川上水と隣接するほか鈴木用水や田無用水が流入し、中流から下流では南側の豊島台に千川上水、北側の成増台に田柄用水が流れ、分水しながら石神井川に水を落としていました。

 また、その上水・用水そのものの水も地下へと浸透し、湧水に涵養していたと言われています。


 以上をまとめると、江戸時代の時点で石神井川流域に湧き出ていた水は、

  •  多摩川の伏流水
  •  雨水が降り、台地上の林で涵養されたもの
  •  玉川上水やその分水の水が地下へ浸透したもの

の3つがあったということになります。

 現在石神井川をはじめとした都市河川の水は減少したのにはそれら3っつがそれぞれ何らかの理由で消失したことが考えられます。

 一体、明治以降、なにがあったのか。それについて一つ一つ考えていきたいと思います。


武蔵野台地の湧き水復活を考える

外環道の開通工事を控え、 改めてかつて豊富な湧水量を誇った三宝寺池をはじめとした 武蔵野三大泉(井の頭池・善福寺池)の湧き水復活について、 石神井公園を愛する一般市民の立場から考えたいと思います!

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